Web3.0時代のDAO。今回はそんな時代の最先端が、実は産業革命期の共済と酷似しているのではないかという話だ。
目次
共済誕生の背景
産業革命勃興期、マンチェスター地方にある織物の町・ロッチデールでは、大資本に搾取される労働者が生活協同組合をつくった。
低賃金で働く彼らは、買い物をする際、悪徳商品を買わされたり、量をごまかされたりして、苦しい生活を余儀なくされていた。
ならば自らが店主になることで、ごまかされることもなく、失業の恐れもない環境をつくろうと彼らは決心し、集まった全員でお金を週に2ペンスずつ1年間積み立て、自分たちの店を開業した。これが生活協同組合の始まりと言われている。
一方、日本においては、「JA共済の父」賀川豊彦がいる。賀川は虐げられていた労働者のために人生をささげ、ガンジー、シュバイツァーと並び20世紀の三大聖人とまで称された。
バブルの残滓
思い起こせば日本のバブル期はすごく良いものを使っていた。サスペンスドラマを見れば一目瞭然で、ちょくちょく鈍器として使われるあのボコボコした重厚なガラスの灰皿、シガーケース、お水も「ペットボトルでどん」ではなく、切子に入れて飲んでいたりした。
今はどうだろうか?
煙草をシガーケースに移し替えたり、お水を切子に入れ替えたり・・・なんて全くといっていいほどしなくなったように思う。
我々は、経済成長の鈍化とともに日本の産業構造が「一強多弱」の時代に切り替わろうとする今、いつしか粗悪品に囲まれる生活に慣れきってしまったのかもしれない。
そんな風に考えると、我々が生きる今の時代環境は、まさに協同組合誕生前夜と軌を一にしているのではないかとさえ思えてくる。
DAOが誕生するのは必然という視点
こうして時代背景を読み解くと、現代にDAOが誕生したのは必然であり、DAOと共済の共通点や相違点を比較検証することにより、共済/保険(InsurTech)の将来像が見えてくるから面白い。
(共済について詳しく知りたい方はこちらをご参照ください)
- 不特定多数で営利目的の保険とは違って、共済は特定グループにむけられた相互扶助の仕組み。運営は基本的にグループの自治にゆだねられている。
- 共済においては、「事故」が発生した場合に共済金を支払う特定の保険者が必要なので、完全フラットな/あるいは全員が保険者のようになりうるDAOの世界とは違う。
- 共済のグループメンバーは、「組合員が自ら運営することを通じて、組合員に最大の奉仕をすることを目的として事業を行う」というお題目はあるが、組合員(メンバー)に貢献するインセンティブがそこまで明確にデザインされているわけではない。一方、DAOは徹底している。
- たとえば生活協同組合だが、組合員全員が出資額に関わりなく一人1票の権利をもって組合経営に参加している。DAOでは、ガバナンストークンの保有量の多寡によって、事案の決定に対する影響力に差が生まれる。
そのため、一部のトークンホルダーが意思決定を実質的に掌握することができる。その点では株式会社とさほど変わらない。 - 森・濱田松本法律事務所の増島先生の論考にあるとおり、DAOはあえて日本の法域を選択する必要はない。
一方、共済あるいは保険についていうと、保険業法は各国に閉じられているため、どんな事業展開をするのかは国ごとに考えなければならない。 - 最後に保険者の取り扱いについても検討を要する部分がある。全員が保険者あるいは保険者なくして成立する保険の仕組みというのはかなり画期的な仕組みだ。
日本では「保険料の後払い」(保険事故が発生した場合、加入者が予め決められた金額を支払うという仕組み。保険事故が発生しない限りは保険料は0円となる)という解釈で、これに近い仕組みを実現したのがjustInCase社の「わりかん保険」だ。
また、Frichでは「保険者 対 不特定多数の加入者」という事業モデルではなく、「特定コミュニティをベースとした個人 対 個人の支えあい」という事業モデルを創り出した。
<イメージ>
保険(不特定多数・営利)
↓
共済(特定グループ・自治・1人一票など非営利要素が強い)
↓
DAO(特定グループ・自治・ガバナンストークン等営利要素もある)
野心的な試みははじまったばかり
現在のDAOプロジェクトをみると、まさに玉石混交で思わず?と思ってしまうプロジェクトも多数ある。まだまだこれからという印象が個人的には強い。
DAOの世界が保険の世界をどこまで侵食していくのか、個人的な興味は尽きない。法域との整理を丁寧にしつつ、共済とDAOをじわじわ融合させ、世界に拡がる大きなセーフティネットに発展させることができたら本望だなあと思う今日この頃である。